この世の中にこれほど数多くの神秘的な文献が存在しているというのは不思議と言えばあまりに不思議でございます。古代からあったとされるものからごく最近のものまで、一生掛けても読み切れないほど量があり、中には解読されていない未知の言語で書かれているものもあると聞きます。難解であればあるほど知的好奇心をそそられるタイプの人はそれなりにいて、実際のところホントかウソかも分からない文書の解読に一生を捧げようというんですから変な話ではあります。この世の秘密が書かれているに違いない、という子供のようなワクワク感があるからに違いありません。ところでこのような文献には、成立過程そのものが謎だったり、今で言う自動書記やチャネリングで書かれたものが多くあり、その存在自体が神秘的であったりします。いわゆる神懸りという現象は演技ではないことを科学的に実証した人たちもいて、あいのほしでは実在する現象という立場を採りますが、だからと言って、書かれたものが真実だとする根拠にはならないと思います。魔法のような世界は実在しますが、だからと言って、科学的なトレーニングを受けた人たちまでもが何の根拠もなく神秘的な情報を支持するのはいかがなものかと思います。知性と感性の統合とでも言いましょうか、右脳と左脳のバランスが何をするにも重要になって来ますが、そのような理想的態度で臨む研究さえも、あいのほしの主題「幸せにならなきゃ意味がない」に戻って参ります。
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ヨアン・クリアーノ『ルネサンスのエロスと魔術』
ルネサンスの文化は想像の文化である。それは内的感覚によって呼び起こされる想像に途方もなく大きな意味を認め、想像に対し、またそれとともに活発に働きかける人間の能力を極限にまで発展させた。(中略)幻想の偶像崇拝的、非宗教的性格を主張することによって、宗教改革は一撃にしてルネサンスの文化を滅ぼしたのである。
同郷ルーマニア出身の宗教学者でミルチャ・エリアーデの愛弟子、ヨアン・クリアーノ(1950-1991)の代表作。ルネサンスとは何だったのか? 専門家でも答えに窮する質問である。専門書であって一般向けに書かれてはいないが、天才ではない私たちが本書を読む意義は、一面的・直線的ではない考え方とは具体的にどういうことなのかを学べる点にあると思う。通俗的な理解では、ルネサンスと言えばギリシア・ローマ時代の学芸の復興だとか、中世の宗教的迷信からの脱却だとかが連想されるかも知れない。しかし実際には、完全に古典に忠実であったわけでも完全に理性中心であったわけでもなく、(内的な感覚印象とも言うべき)「想像的なもの」による錬金術的・神秘主義的な現実の操作を企図していたという側面があった。現代の「思考が現実を創造する」という哲学の源流は古代に遡り、知る由のない経路で確実に中世の西欧社会に伝わっていて、ルネサンス期には迷信的な儀式形態と経験ありきの精神集中の技法を寄せ集めたような様相を呈していたと思われる。マルシリオ・フィチーノやジョルダーノ・ブルーノといった代表的人物の著作がその都度引用され、当時の魔術がどのようなものであったか、ある程度のイメージを掴むことができる。私たちが抱く魔術のイメージからそれほど遠くはないような、言葉、数字、図形、シンボル、占星術を用いる複雑な体系があったらしいが、かと言ってそこから、西洋文明は魔術的技法による権力掌握と大衆操作の歴史であったかのように極論することはできない。現実の解釈は多層的・複眼的なものである。魔術師も錬金術師も(少なくとも表面的には)キリスト者であった。宗教改革(プロテスタント側)も反宗教改革(カトリック側)も、「想像的なもの」と「現実的なもの」を完全に分離するという目的に対しては協働し、その最終結果が現代科学技術文明であるという見方が提示されている。該博な知識を持つ著者ならではの知見が多く、ヨーロッパ知識人の面目躍如に瞠目せざるを得ない。
ハズラト・イナーヤト・ハーン『音の神秘』
音楽は神への最短かつ最も直接的な道です。しかし人は、音楽とはいかなるものであり、それをどう用いればよいのかを知らなければなりません。
ヴァドーダラー(インド)出身でイスラム神秘主義(スーフィズム)の大家であるハズラト・イナーヤト・ハーン(1882-1927)の著作集の中で、一番有名な第二巻を全訳したもの。主要テーマは音楽であるが、音楽家のために書かれたわけではなく、一般の人をスーフィズムの世界に招待するといった内容である。著者は主要な宗教すべて(特にヒンドゥー教)に精通しており、これから神秘の道に入って行く人に盤石な基礎を与えてくれる(逆に、イスラム教の歴史や哲学を知りたい人には向いていないと言える)。すべては一つのものから発せられる音色、高さ、長さ、強さ、リズムといった特徴を備えた音(波動)であり、五大元素(地、水、火、空気、エーテル)によって表現され、内的な感覚によって聴かれる現象であると説く。そこから規則正しいリズムの効果や、音と音との協調関係(ハーモニー)という考えが導かれる。文章そのものに調和が取れており美しく、かつ経験に裏打ちされていることが感じられ、大師が(何を意味するのであれ)確かに「完成」の域に到達していたことを窺わせる。一見すると、具体的なメソッドは何も書かれていないようであるが、大師の言葉もまた音楽であり、それを本当に「聴く」努力をし、スーフィーたちの気息に同調するつもりで読んでみると、実はいろいろ方法が指し示されていることが理解される。感受性が磨かれれば、その分だけさらに多くの実りを得られる読書体験になるだろう。