仏教の入門書は数あれど、仏教の本質を捉えるのは難しいと思う。そもそも釈迦本人の説法の中には、当時のバラモン教やアージーヴィカ教の教義に反論する形で説いた相対的な教えが含まれているし、さまざまな哲学を取り込みながら発展して来たという歴史もある。苦諦(生きることは苦しみであるという考え)を根本とするのかと言えば、現世を完全否定するわけでもない。足利直義の質問に、臨済宗の高僧である夢窓疎石(1275-1351)が答えるという形式で書かれているこの本の内容を一言で要約すれば、坐禅とその工夫用心に猪突猛進すべし、ということになろうか。ただし、禅の入門書ではない(教外別伝)。三十一歳で印可を受けてから、悟りの伝達を求めて押し寄せる修行僧たちを避けるために各地を転々としつつ大悟徹底に努め、指導的立場に転じたのは五十歳を過ぎてからと伝えられるから、並大抵の心根ではないだろう。足利直義もまた頭の良い人で、一般人が疑問に思いそうなことを虱潰しに質問しているので、夢窓疎石の答えも包括的な内容になっている。直義の素朴な問い掛けに、「なるほど私も若い頃、同じように考えたことがあった」とその考えの妥当性を認めた上で、「しかし実は、こういうことだ」と続け、分かり易い実例を挙げる。仏法はこうなんだからとにかく信じなさい、とは決して言わないのである。本分の田地、離欲、理入と行入、魔境、菩提心などの重要な概念に、明快かつ徹底的な説明がなされ、レトリックによるごまかしがない。ニューエイジのようにも、ネオ・アドヴァイタのようにも読めてしまうところに、時代を超越する覚者の凄みを感じる。さらっと読むのではなく、よく考えながら読まなければ、仏教のエッセンスを汲むことは難しい。だが、努力するだけの価値はある。