美しい暮らし

日本の住環境が美しさの面で諸外国から大幅に後れを取っている、とよく言われます。昔の建物は一般的に火事や地震に弱かったという点は否めないので、特に戦後はとにかく火事や地震に強く、価格的に安く作れるという技術面が優先されたのも無理はありません。だけど、あまり美しくはありません。卵が先か鶏が先かじゃありませんが、美しい家に住んでさえいれば心も清くなるということはないものの、心が美しい人は必ず住環境も美しく調和しているものなので、変な話ですが商業ベースの建築様式をより美しいものに改善して行く仕事は今後有望である可能性があります。よく考えてみれば当たり前のことなんですが、日本のいわゆる伝統的な色や形の中には普遍的に美しいものが幾らもあるので、まずはそれを徹底的に学んだ上で、そこをベースに現代の建築技術や加工技術を加味すればいいと思います。ヨーロッパみたいに普遍的に美しい色や形を繰り返し使って行くことが様式美になるので、同じように日本の様式美を生み出して行けると思います。侘び寂びというのは禅の考え方が入って来るので、侘び寂びを生活様式に取り入れることによって人間性が向上するという確証がない以上そこに戻る必要はないかも知れませんが、今の建築は写真写りを気にするあまり、自然光の明暗を考慮に入れなさ過ぎる傾向があるように思われます。日本人的な感性に響くような住まい作りを、現実的にあまりお金がかかり過ぎないようにポイントを押さえてやって行く必要があるかと思います。

創造性

アーティストと言うかクリエイティブな職業というのがある種もてはやされるようになって来て、そのこと自体は歓迎するべきなのかも知れませんが、クリエイティブという言葉が実際どういう意味で使われているかを考えてみますと、子供が画用紙に何描こうとか粘土で何作ろうと言う時の創造性からは、随分とかけ離れているように思われます。こういうことをテーマにすれば美術評論家に注目され易いとか、コンセプトが複雑であればあるほど高く評価されるとか、最終的にアートをお金にするための戦略を立てる能力を称して、クリエイティブと呼んでいるような印象を持ちます。芸術家を志す子供がこういう現状を見て育った場合、アートというのは中身よりも自己演出の方が大事だとか、結局お金にならなければ価値がない、といった印象を刷り込まれるのではないでしょうか。西洋美学の枠組みの中では何の意味も成さないけど、岡本太郎さんじゃないんですが「なんだこれは!?」というのが本来の創造性に近いんじゃないかと思うんですが、みなさんはどう思いますか? 良く言えば理知的、悪く言えば権謀術数という、要するに今のアート界も男性社会ということなんだろう、と個人的には思っています。何かを生み出すのも二通りあり、科学的な発明というのが一つで、もちろん私たちはその恩恵を多分に受け取っていますが、もう一つは野生的な感覚と言いますか、何を意味するとかそういう観念では片付けられない表現というのがあるんだろうと思います。