無限の可能性という表現は一般的によく使われますが、スピリチュアル業界でもたまに耳にする気がいたします。人生の壮大さを感じさせますが、水を差すようなことを言ってしまえば、何でも努力さえすれば成し遂げられるとは限らないし、そもそも与えられている選択がそんなに多くない、というのが私たちの現状ではないでしょうか。二十代で音楽家、三十代で建築家、四十代で起業家、五十代で哲学者、六十代で料理人、七十代でダンサー、八十代で政治家として、それぞれ超一流の仕事をした人が実在したとして、その人の口から無限の可能性という言葉が出れば私たちも納得という感じですが、その人でさえも実際は幾つかの可能性を体現したに過ぎないのではないでしょうか。そもそも努力したくても出来ない精神状態にあり、何をどうやっても社会で認められない人というのは存在します。人生の可能性を論じるならば、人の縁の重大さを同時に語らない限り、私が思うに片手落ちなんであります。人間一人では生きて行けないし、可能性というのは然るべき人との縁に触れて初めて花開く、というのが事実なんですが、そこが強調されるどころか語られてすらいないことが多いように見受けられます。私みたいな卑下慢屋は人から認められないので、何をどうやっても成功することがありません。なのでそういう場合には第一に、人とのご縁を大事に出来る精神状態にまでどうにかして持って行く必要がございます。