誘惑

誘惑という言葉はいろんな意味で使われるかと思うんですが、スピリチュアリティの文脈から見ますと、世の中を思い通りに出来るような超常的な能力が発現した時にそれをどう使うか、という意味で使われており、まさにそれが誘惑の本来の意味だと思います。自分の人生はおろか他人の人生をもどうこう出来るスーパーパワーを与えられたとしたら、みなさんはどう使いますか? 架空の話みたいに聞こえますが、それが実際に昔の覚者さん達が直面した問題だったのであります。そんな兆候のカケラもない私たちはスピリチュアル的に見れば取るに足らない存在ではありますが、一方で気楽な境遇にいることもまた事実であります。覚者にとって力というものは避けては通れない試練でありながら、そんな力なんか全然持ってないフリをする、という選択が為されることが多かったように見受けられます。力を使うことはもちろん命を狙われる危険に直結しますが、力を使わないために世の中が良くならなかったこともまた事実と言わねばなりません。スピリチュアル的に進歩するといかに大きな責任を負うことになるか、私たちは深く考えることもなく今まで来たのではないでしょうか。私が知る限り、そんなような話がスピリチュアル業界で語られるのをあまり聞いたことはありません。私たちはやっぱり自分のことしか考えてないという一つの証拠であります。