痩せ我慢を強要するかのように聞こえることを最終的に言わなきゃならないのが、スピリチュアリティの泣きどころであります。とんでもなく辛い人生を歩んで来たのに感謝とか、仕事がなく、お金もなく、恋人もいないのに心が満たされているとか、一般常識的に見たらオイオイと言われるような、絶対不可能と思われるようなことが実は可能だし、もっと言えばそれしかない、それが精神世界の本質であるということなのです。何だかんだで人生がうまく行っている間はそれが見えないし、また見える必要もありません。人生躓いた時に、ある人にとっては「それでも感謝ですよ」という教えが宝のように光り輝いて来るものなのです。世間では、結婚に失敗し会社をクビになり、鬱になり引き籠もりになりというシナリオが、人間の当たり前の反応として語られるのではないでしょうか。そういう時こそ本当の命を得るチャンスです、なんていう話をメディアで聞いたことはありません。だけれども、メディアの論調は残念ながら正しくありません。仕事で成功し、最高の条件の結婚をし、何一つ不自由なく暮らせることが幸せと信じて来た私たちに、実はそうではないという事実を次々に見せられる時代に入って来ています。メディアも少しずつ変わって行くと思います。どんなことがあっても「まだ生きていることに感謝しよう」と思おうとする努力は決して無駄になりません。実際とんでもなく素晴らしい結果に繋がって行くと私は断言いたします。瞑想とかマントラもいいですが、私が精神世界で何か一つだけ選ぶとしたら、生きていることに感謝するという感謝行をおすすめしたいんであります。