もしもこの世が愛と調和の美しい世界だったら、スピリチュアリティというものは必要ないのだろうと思います。だけど、そのような世界になりつつあるのです。若い時に耐え難いような苦しみに直面させられる人というのはあります。若ければ若いほど、何かよくない行いをした結果だとは考えられず、これといった理由を見つけることができないわけです。そこで先祖や過去世からの宿縁が原因であるとするカルマ論を説かれれば、若い心にはそれが真実であると思えるものです。それ以外に考えようがないわけですからね。そこへ来てさらに、カルマを解消する方法があると聞かされれば、誰だって飛び付きたくなるのは当たり前でしょう。ニューエイジにはカルマを解消できるとする考えがあり、私もいろんな方法を試してみたものです。ところが、宿縁というものが形となって現れるのを未然に防ぐ手段はそんなにない、というのが残念ながら現実なのであります。よく考えてみれば、行為の結果が簡単に消せるなら、世の中何をやっても同じということになってしまい、そんなことがあろうはずもありません。だけど、そんなような虫のいい考えが後を絶たない業界なのであります。七つの体で言うところの四番目の体にアクセスすることができれば、ほとんどの宿縁は消すことが可能であると言うこともできるのですが、そんなものあるとも思ってない私たちが、具体的に何をどうすればできるのか分かる道理もありません。ですので、五井先生のおっしゃる通り、不本意なものは神様が人を彫刻する過程に出る削りかすなのだから、本来の自分とは無関係のものと見て心を捉われさせないことが重要と言うべきだと思います。どんな困難な状況も、それを自分と同化して見なければ睡眠中に浄化されて行く、というのは私の経験から言えば本当です。気持ちを離せば離すほどいいのです。現象として出切ったら必ずよくなるのだ、という希望というか信仰を持てるかどうかに掛かっております。もちろん、将来的に高次元の体にアクセスするという可能性を捨てる必要はありません。