世を去る

余命の宣告を受けて初めて、自分がやり残していることがあるのに気づく、というのはよく聞く話なのですが、精神世界を学んでいながらそれじゃ、ちょっと残念な気がいたします。とはいえ、ある種のスピリチュアルティーチャーさんは死後に自我や個性というようなのは消滅すると説いていて、いわゆる肉体が人間のすべてだと信じ、無神論的な考えが主流になっている国でブームになっております(既成宗教が退廃していることへの反作用)。消滅するのであれば人生何をやっても変わらないわけで、私から見ると困ったブームだなあと思うわけです。ところで、神秘学では私たちはみんな七つの体を持っていると言われています。つまり、肉体の他に微細な体を六つも同時に持っているというんです。私たち一般人にとっては、病気や事故などでたまたま体外離脱でもしない限り、肉体以外にも体があるということは知識として知るだけで、それを裏づける体験が全然ないということになってしまいます。危険を伴う特別な修行(クンダリニー・ヨーガ)をしない限り、体験としてハッキリ分かる可能性がほとんどないので、死んだら終わりと思うのは当然と言えば当然です。引き寄せの法則や思考の現実化というのは本来、微細な体を使えるということが前提条件であって、自分が肉体だと信じている状態でいくら想念を集中したところで、結果は肉体次元の法則に限定されてしまいます。類い稀な集中力を持つ優れた人がいても、それだけでは奇跡的な現象は出て来ないというのは、現実が証明している通りであります。ないと信じている限り、微細な体にアクセスすることは難しいと思います。ある種のスピリチュアルティーチャーさんは、あなたは大宇宙の中で塵にも満たない小さな存在であり、そんな小さなものに価値はなく、さらに大宇宙そのものもいつか終わりを迎えるのだから、消え去るものに意味などあるものかとおっしゃいますが、本当にそうでしょうか? 確かに多くの場合に私たちは非力な存在ですが、親孝行したり、子供の心の支えになったりできる人というのは、世界を変えられると妄想する人よりも偉大ではないでしょうか。私個人の考えでしかありませんけど、それは小さくて何も残らない行為ではあり得ないのであります。