自分の頭で考える

自分の頭で考えるのが大事というのはよく言われていることかも知れませんが、あいのほしも同意見です。「考えるのを止めてこれを信じなさい」という精神世界でのやり取りには非常にマズイものを感じるのでご注意ください。で、何をどうすれば自分の頭で考えていると言えるのかについて私の考えを述べる必要があるかと思いますので、いつもの通り参考程度に聞いてください。昔のギリシャには自分の頭で考えさせるためのメソッドと言いますか教育法があったようでして(ソクラテス式問答法)、今の欧米の大学は概ねその伝統を受け継いでいると言えそうです。ある話題について議論しようとする時に、まず一般的な問題提起を仮に立て、それに対する仮の答えを三つくらい考え、その答えの理由や根拠を展開した後、今度はそれに反対する仮の答えを立て、その理由や根拠を検討し、最終的により吟味された仮の結論に到達して締めくくる、みたいなやり方です。なんだか知的な作業みたく聞こえますが、西洋における教養の語源になっている cultura というラテン語は、畑を耕す、つまり体を動かすという意味である通り、体を使うことによって得られる、要するに「知識+経験=教養」ということなので、単に理屈だけで導き出した答えは本当の答えではないのです。教育で出来るのはあくまで論理的に考える訓練であって、仮ではない本物の問題提起は人生経験から内発的に出るものであり、そこからが本当に自分の頭で考えることであると言えるでしょう。欧米のエリートはそれが分かっていて積極的にいろんな経験を積もうとする傾向があるように見受けられます。学問の世界では論理的な訓練を踏まない人は認められないし、自分の頭で考える学者さんは学会から孤立する可能性があり、いろいろと難しい世の中だなと思います。スピリチュアルな世界もまったく同じであり、自分の人生経験の中から自発的に湧いて出る疑問からスタートするのが本来のあり方です。ところがいろんな理由からそうではないのが普通であり。自分の頭で考える人は他の人たちから遅れを取っているように感じるものです。途中までは確かにそうなのですが、最終的には違います。何事も始めが肝心と言いますが、自分の動機や目的が正当なものであるか、時折自分でチェックすることが大事だと思います。