「少年老い易く学成り難し」と言いますが、スピリチュアリティも一面では学問でありますので、同じことが言えるわけであります。みんながそうだと思いませんが、若い頃はとかく自分を過大評価しがちでありまして、ちょっと本を読みセミナーに通った程度で「分かった」と思ったり、中には「到達した」と思ったりする人もあります。ですがそのまま大成する人は稀でして、大抵の人は中途半端に終わるというのが、冷静になって考えれば「世の常」といったところではないでしょうか。中年になってようやく「自分は本当は何も分かっておらず、またこの先に進んで行く能力もない」と気づく場合があります。かなりガッカリな気づきですが、このように思えた人は実はいい線を行っているのでございます。誰からも評価されず結果が出ないというのは、この世では死活問題でもありとても辛い状況ですが、ここが踏ん張りどころと言いますか、運命の分かれ道がハッキリ現れる時と言えます。この時点で人生に失敗しているにも関わらず、それは過去の因縁が相当悪かっただけのことであり、あくまで人間として何が正しいのか、何が最高の理想なのかを考えて生きて行こうと結論できる人は、既にゴールしているのと同じであります。つまりスピリチュアリティの基本が身に付いたことを意味します。一方で、スピリチュアリティの基本が「永遠の生命」を信じることであり知ることであるはずなのに、どんな手段を使ってでも生きているうちに結果を出さなきゃ意味がないと焦って、学問の世界で実験結果やエビデンスを捏造する人が出るように、スピリチュアル業界でも出来ないことを出来るように嘘をついたり、ないものをあるように偽装したりして、人集めや商売に成功する人が出たりします。多くの人がやっている方法だから大丈夫とは限りません。普通よりも良い意図を持ってスピリチュアルな道に入ったにも関わらず、普通の仕事をするよりもむしろ悪い言動を積み重ねてしまい後々面倒臭い羽目になるとしたら、それは本当に気の毒だと言わねばなりません。究極的に間違った道はないと言えますが、遠回りすることになると思います。