平等というのは法学とか政治学で論じられ、時代と共に解釈や適用が変化する概念であって、人間世界の現実ではありません。私たち一人一人は全然違う条件を持って生まれ付いているので、スピリチュアルな教えをそれこそ平等に与えられても、成功する人もいれば一生かけても成功しない人もいる、という違いが出て来ます。人を傷つけ自分も傷つける言動をする人は、それが生まれ付きの性格として与えられた条件で、取って付けたように神仏に願いを掛けたとしても、そのままでは幸せにはなれません。悪い条件を消して良い条件を増やすという考え方が出来れば、宗教は科学的な内容に進化できます。しかし、どうすれば悪い条件を消せるのかというのが最大の難関です。一つには、人を傷つけ自分も傷つける性格を自覚できるなら、「私のこの悪い思いをどうか消してください」と神様に祈るという伝統的な方法があります。心理療法的に自分を分析することで、「この思いの癖が人も自分も害しているんだな」とハッキリ悟れれば、自然にその思いが消えるというのも一つです。人間の心というのは、自分が損していることが分かれば二度とやらない、という面白い性質があるからです。いずれにせよ、誰もが幸せになりたいと願っているのにそうなれないのは、そうなるためには然るべき条件を満たす必要があることを知らないからで、具体的に一つ一つ理解して実行して行くことが鍵になると思います。