差別とか階級意識というのは微妙な話題なんですが、スピリチュアリティにおいてもカースト制度をはじめ至る所に序列が設けられているのをどう解釈すべきか、避けては通れないテーマになって参ります。第一に、今現在の私たちは子供の頃から誰より上だとか下だとか判断することに慣れており、まさに息をするように自然に順番を付ける性質を持っているということです。良い悪いじゃなく私たちはそんなレベルにいます。第二に、社会的に見ると一人一人の役割の種類や大きさには違いがあるのが本当で、それは本来の社会的序列の正当な根拠であるということです。それと「神の前ではみな平等」という真実は別々に考えられるべきだと思います。リーダーシップを執る人がいるということと、魂が平等であるということは矛盾しませんが、今の社会では矛盾しているような感じになっている、というのが事実だろうと思います。そこがまた、差別をなくすべきというような理想が常に語られるにも関わらず何も変わらない理由ではないでしょうか。現実のどちらか半分しか議論しないから、一向に理解に辿り着かないのは当たり前だと思います。自分に与えられた領分をわきまえて分相応で生きて行く、というのが一言で言えば解決策になりますが、ところがどっこい無神論的な現代人にとってはとても難しい場合もあるのかも知れません。