中道と言いますと老子の「無為自然」の教えが一番有名ではないかと思いますが、老子の説明だけで分かる人は全然いないんだろうと思います。なぜって具体例が挙げられてないからです。私が思うに老子は哲学的な理想を語ったんじゃなく、無為自然を体現した大覚者だったはずで、言葉で説明するのにむしろ苦労しただろうと思います。それとは対照的に、孔子の教えは具体例が豊富で初心者が入り易い特徴があります。ちょうど顕教と密教に相当するもので、どっちも必要であって優劣をつけようとするのは間違っていると思います。中道ほど言葉で説明しにくいものはないはずで、当然中道を実際に生きている人が必要になって参ります。ところが困ったことに、そういう人に出会える確率は千載一遇と言えるほど少ないわけです。だからこそ、こういう時にはこうする的な説明が色々あった方が私たちには助かると言えます。宗教は結局より良く生きるための一言に尽きるはずなんですが、お互いに争ったりしてどうしてこんなに本末転倒してるんだろうと不思議に思われます。過去の大覚者の言葉を借りれば本質をズバッと言い表すのは簡単なんですが、それを生きるとなればどこまでも奥の深い世界があるので、私たちは今この人生でとにかく入門することが大事です(どこかの宗教に入信するという意味じゃなくて、より良い生き方を実践し始めるという意味)。くどいんですが、悟りと実生活は別という二重基準のティーチャーさんに追随することはおすすめ出来ません。