精神世界というのは結局何の根拠もないような話ばかりなので、とりあえずこう考えてみようとかこう仮定してみようという前提をたくさん設けないと始まらない、という現実面の問題があるわけです。自分で検証するまでは何も信じないという態度は、徹底できれば立派なんですが、その線で行くとリンゴが木から落ちるのだって、世界中のすべてのリンゴの木を見るまで分からない、世界中で一つくらいは宙に浮いたり空に昇ったりするリンゴがないとは断言できないということになり、そんな風に宗教を一から検証しようと思ったら膨大な時間が掛かることが想像されます。私自身は生まれ付きの信仰心がなかったので、どちらかと言うと自分で一から考えるような道を通って来たのです。神はいるとかいないとか頭で考えるような人はそうするしかありません。生まれ付き信仰心があって、導きの力が守っていてくれると何となく感じるような人は、良い悪いで言えば凄くいいということになります。で、あいのほしではお節介にも数々の信念を前提にお話ししているんですが、これは私自身の経験からあった方が楽だと思うものをピックアップしているだけですので、信じる信じないはみなさんの自由にお任せします。主な前提を挙げますと、人それぞれ役割が大体決まっていて、それを果たすことで最終的に人類が大調和するという目的に貢献しますが、自分の肉体を守ろうとする思いが強過ぎると脇道に逸れてしまうため、自分の人生に本来の目的があることを思い出すべきである、というような話です。