自己表現というのが大まかに言えばすべての人の人生テーマの一つになって来ると思うんですが、正しい自己表現と間違った自己表現があるのかとか、逆に自己表現しないのは悪いことなのかとか考えますと、単純にこうですとは言い難いように思われます。根本的に言えば、生きていること自体が一つの命の表現であり、自己表現しないという選択は出来ないと言えます。で、心理学の得意分野と言いますか、心理学で既に整理されている通り、自己表現には段階と言いますか順序がありまして、最終的に一つの自己を表現するようになる前段階として、個別の自我を開拓するというステップが必要になって参ります。承認欲求という言葉が流行している今日この頃ですが、私が思うに、これは親の愛情を得たいという、自己表現に至る道のかなり前の方のステップで躓いているのかなという印象です。求める愛情を与えてくれない親であるがために、それを何らかの行動で穴埋めしようとしているのではないでしょうか。それを肉体的にやるか知的で複雑な形でやるかの違いはあるものの、理由は一緒です。親は変わらないのですから決して満たされることはなく、満たされなければ霊的にも一歩も前に進めない、という絶望的な社会状況なのです。だから意味も価値もないとか、何も考えなければいいというような絶望の哲学が流行るのも当然です。結論だけ言いますと、夫婦のあり方を見直し、関係を改善することを基本とするような教えが説かれ、それを実践する人の数が増えない限り、人類に未来はないということになるでしょう。