この世の中にこれほど数多くの神秘的な文献が存在しているというのは不思議と言えばあまりに不思議でございます。古代からあったとされるものからごく最近のものまで、一生掛けても読み切れないほど量があり、中には解読されていない未知の言語で書かれているものもあると聞きます。難解であればあるほど知的好奇心をそそられるタイプの人はそれなりにいて、実際のところホントかウソかも分からない文書の解読に一生を捧げようというんですから変な話ではあります。この世の秘密が書かれているに違いない、という子供のようなワクワク感があるからに違いありません。ところでこのような文献には、成立過程そのものが謎だったり、今で言う自動書記やチャネリングで書かれたものが多くあり、その存在自体が神秘的であったりします。いわゆる神懸りという現象は演技ではないことを科学的に実証した人たちもいて、あいのほしでは実在する現象という立場を採りますが、だからと言って、書かれたものが真実だとする根拠にはならないと思います。魔法のような世界は実在しますが、だからと言って、科学的なトレーニングを受けた人たちまでもが何の根拠もなく神秘的な情報を支持するのはいかがなものかと思います。知性と感性の統合とでも言いましょうか、右脳と左脳のバランスが何をするにも重要になって来ますが、そのような理想的態度で臨む研究さえも、あいのほしの主題「幸せにならなきゃ意味がない」に戻って参ります。