人生をいかに生きるか、とかそんなのこそスピリチュアリティの本質的な問いじゃないかと思うんですが、面白いことにその答えが一貫していないわけです。一貫してないから何を誰を信じていいか分からない上に、たとえ正しい答えを聞かされたとしても、私たちはその答えに納得できないのではないでしょうか。経験の裏付けがない以上、信じないのは当たり前のことです。何かの教えで運命が拓けて幸せになれた人が大勢いるところを自分の目で確かめることが出来たなら、それはとても幸運な巡り合わせです。だけどあいのほしが一番いいと考えるのは、自分が何のために生きているのか自分で思い出すことです。素晴らしい教えに従って生きて行けるのはとてもラッキーなことではありますが、最終的には自分で分かることを目標とすべきだと思います。それにはまず、本質的な意味での自分がこの世に生まれる前に計画を立てたのであり、子供の頃はおぼろげながら覚えていたものの、大人になって忘れてしまっただけだ、ということを無理矢理にでも信じないといけません。その上でそれを必ず思い出そう、時間は掛かっても必ず思い出せる、と固く決意することです。すると、期待するほどハッキリした形では来ないかも知れませんが、あっそうかと悟る瞬間が必ず訪れるものです。