人生に目的はない、よって目標を定めるなんてナンセンス、というようなことを教えるティーチャーさんがいらっしゃいまして、哲学としてはそれもアリなんですが、実際その通りにやるとなるとどうなのかな、と思うんであります。その方向で精神的にあるいは社会的に大成した人を見たことはありません。やはり目標を決めることによって人生が積み上げられるというのが普通の考え方だし、大事なことだと思うわけです。で、何を目標にするかというのが問題です。ある特定の職業に就くこと目標にするならば、結果は成功か挫折かのどっちかになります。幸せな家庭生活を目指してAさんと結婚したら、現実にはなぜかうまく行かなくなり、もしBさんと結婚していたら幸せだったかしら、と想像してみたりすることもあるでしょう。資産家を目指して株に投資することにして、自分の感覚と考え方からこれがいい!と思ったA社の株を買ったら、何年かで倒産という憂き目に遭うかも知れません。同じ時期に市場に出ていたB社の株を買っていたとしたら、何年かで何十倍になっていたとすれば、選択を誤ったということになります。こんな風に、ごく一般的な意味での目標には、そこに至る手段にいくつかの選択肢があり、結果は成功か失敗の二つに一つではないでしょうか。持って生まれた能力や性格の良し悪しで、結果は自ずから決まって来るとも言えるし、もっと言えば成功と失敗の繰り返しと言うことも出来ます。スピリチュアルの観点から言いますと、もっといい設定の仕方があるということなのです。自分の能力の範囲でやればよくて、いわば誰もが成功を実感でき、生涯に渡って自分を励まし高めてくれる目標があれば、生きるのが単純に楽なのです。それは何かと言いますと、世のため人のため、地球のため、ひいては神様のために役に立つことを、自分で考え切れる方法でやるという目標です。これが唯一の道だと言うつもりはありませんが、結局何が一番得な生き方なのかを考えてみてください。