これまでのスピリチュアリティでは、「悟り澄ましたような顔」と言われるように、何やら高い境地にいる人は何があっても心が動揺しないという印象が昂じて、何も感じないとか感情がないことがその証であると考えられるきらいがあるようですが、これは誤解だと思います。事実はその逆で、感情を避けて通れば目的地に辿り着くことは出来ません。男性は特に感じることを恐れる傾向がありますが、その線で行くと、分かるようで全然分からない観念的な悟りに辿り着くだけだと思います。現代のスピリチュアルティーチャーさんはクールであったりドライであったりするのが流行っているのかも知れないですが、昔の時代のティーチャーさんと言えば、宗教者であると同時に優れた詩人であり画家であり歌い手であり踊り手であるという人が少なからずいたものであります。何を隠そう私の最初(で最後)の先生がそういう感じで、感受性を育てることが大事と教えられましたが、今はそういうケースが珍し過ぎて誰も変だと思わない現状です。私自身かなり筋が悪い方なので、正しいことを教えられてもその時はピンと来ないことが多々あるんですが、今振り返って見れば、なぜそう指導されたのかは理解できます。いわゆる喜怒哀楽を包み隠さず感じることは自分の考え方を知る上で大切ですし、美しさを感じ取る感受性は本当の自分を見つける鍵になるとさえ言えるでしょう。いい音楽を聴いたりいい演劇を見たりすることは、私たちが考える以上に重要なことです。ただ、それ自体を目的にするんじゃなく、それを乗り物にして上に登って行く必要があるということです。