人間にはものごとの仕組みを理解したいという願望があり、また理解できる能力を与えられている以上、私たちが人生をより深く知ろうとするのは自然なことに思われます。実際、未来の世界では私たちがここ(地球)で何をしようとしているのかが理解されるようになるのです。そうなったらもう占めたものでしょう。ただ、難しい哲学を理解できるならそれはそれですごいことなのですが、哲学の大部分はどちらかと言うと解説とか背景知識に属するものであって、愛の道を行じる霊止(ひと)になるのに背景知識は全然必要ありません。言葉にするから変に聞こえてしまうんですが、まず知識から入って、それを行じて行くうちに自分のものになり、最終的にいちいち頭で確認する必要がなくなるという訳なのです。私個人の勝手な意見なんですが、一人一人が別々に修行してという今までのスピリチュアリティのあり方は終わりつつあるように思います。私たちは集合的な理解に到達しつつあると見るべきです。それはもちろん言葉が一人歩きして行くからではなく、黙々と行じる人が増えて行くからこそ達成されるのです。