「誰か故郷を想わざる」という歌詞の通り、生まれ故郷というのはほとんど誰にとっても特別なものではないでしょうか。それには純粋に心情的なものだけではない理由があるような気がいたします。私たちは生まれた時点でクンダリニーとは繋がっていないのですが、その代わり産土神の言い伝えの通りに、生まれた土地のエネルギーと繋がっていると言えると思います。この繋がりはほとんどの場合一生涯切れることがないようです。人生で何をやりたいかとか、誰と出会うかというような要素は、この土地のエネルギーから割り振られて与えられていると考えることも出来ます。地球に意識があるとすれば、全体のバランスを調整しながら人間一人一人に役割を与えているわけです。ところが、何らかのきっかけで土地のエネルギーとの繋がりが突然切れてしまう人がいます。人間社会の中での役割から解放され、故郷のない自由人になるわけです。タロットで言えば愚者のカード、トランプで言えばジョーカーがあるということは、大昔からそういう役目を与えられる人が一定数いたことを示唆しているようです。土地のエネルギーから切り離されるところからクンダリニーの目覚めがスタートして、クンダリニー・ヨーガのゴールはその遥か先にあります。最初のステップの衝撃で正気を失ってしまう人もあり(いわゆるクンダリニー症候群)、クンダリニー・ヨーガは狂気を孕んだ危うい道であると言われる所以です。土地のエネルギーというのは、私たちが生きているという実感を持って正気でいられる基盤になっているんであります。それを失うということは、そういうことです。私が思うに、クンダリニー・ヨーガは真面目な修行というよりか、強烈なメッセージ性を携えて危なっかしい人生を駆け抜けたロックスターの生き様に近いものがあり、実際にいわゆる悟りに近い状態まで行った人もいます(例えばボガンボスのどんとさんやフィッシュマンズの佐藤伸治さん)。ジョーカーとして生きるのは楽な道ではなく、大きく言えばそのような役割もまた、神様に与えられるものだと思います。