ものごとを思い通りにしたいという気持ちは、人間であれば誰でも持っているものだと思います。大多数の悟りの教えというものは一言で言えば、このものごとを思い通りにしたい気持ちが消えるということでしょう。しかしながら状況をコントロールしようと意志する主体がほんとに脱落したら、その状態で肉体を維持し続けることは出来ないのではないでしょうか。生きていれば何かが欲しいのは当たり前のことで、私が思うに、自由に生きたいという気持ちと、思い通りにならないのを不満に思う気持ちは全然別問題であることを、スピリチュアル業界ではちゃんと区別して語って来なかったのではないでしょうか。思うような結果が出なければ不満や怒りの気持ちが出るのは一見当たり前の反応ですし、そういう歯痒さは潜在意識にどんどん溜まって行って、いつかは必ず体の不調や人生トラブルとして表面に現れて来ることになります。しかし、人生が思い通りにならなくてもまったく歯痒くならない人も実際にいるのです。そうなると、従来型の欲望が不幸の原因という考えは当て嵌まらないことになります。何が違うのかと考えてみますと、よく言われている通りに結局、不平不満が起こりがちな人は「人生そんなにうまく行くわけがない」とか、何が理由であれ「最高の結果は自分に値しない」と信じていて、何とも思わない人は「思ってることはいつか必ず実現する」とか「表面的にどう見えようが常に最善のことが起こっている」と信じているということなのです。「汝自身を知れ」とか言いますが、今も昔も、自分が何を信じて生きているかに気付くことが精神世界の王道なのであります。