物質至上主義が行き過ぎてしまっているということは、この文化の特徴として言われ続けているのではないでしょうか。物質を蓄積して行くだけでは本当の幸せは得られない、ということに気づく機会は誰にでも必ず与えられます。ところが当の私たち自身が、そんな風に考えないように努力しているのです。メディアのせいとか誰のせいということじゃありません。私たちは五官に感じられる人生を楽しんでいたいのです。それじゃ本当の幸せは得られないなんてことは、実のところ誰もが心のどこかで分かっているんであります。救われたいなどと全然思っちゃいない人を、救おうと考えたり助けようとしたりするのは、たとえ純粋な善意からだったとしても、おせっかいどころか良くない行為ということになるのです。人類が救われるために覚者の方々が残した痕跡は十二分に保存されております。今さら何かを付け加える必要はありません。まして私ごときが誰かを救おうなどと考えるとしたら、傲慢を通り越して笑止という話になるのです。人類の集合意識が救われることを選ぶなら、それはすぐに与えられるほどに道は整っております。なので何か問題があるように考えない方がいいし、現に問題はないのであります。私個人のことを言えば、世の中のためになると自分で思うことを、結果を期待せずにやることがすべてで、何かを伝えようとか難しいことを考えるのは無駄なことです。一般の私たちにとってスピリチュアリティで大切なことは、語るのではなく行動で見せて行くことだと思います。