物質的に豊かな世界になったら、今度は心の豊かさが求められる時代になる、と再三言われております。ここで言う心の豊かさの意味するところを推察するに、世界一周旅行や、美術館巡り、オペラ鑑賞というような、大都市に住む最富裕層が実際に享受している楽しい暮らしに行き当たります。これは私が思うに、心の豊かさと言うよりも、経済の豊かさがもたらす心の余裕と言うべきものではないでしょうか。そして五感を楽しませてくれる外側の何かに依存するものでもあります。お金が尽きればそれと同時になくなってしまうという関係にあるわけです。スピリチュアル的に言えば、物質世界にほとんど関係なく存在すればこそ、本当の心の豊かさであると言えます。もちろん世捨て人にならない限り分からない、語れないという考えは極端過ぎます。神様は物心両面に働いているからです。大安心の境涯と世俗的安泰のバランスというのは常に微妙な問題であり、多くのスピリチュアルティーチャーを脱落させる(金儲けとか権力闘争に走るということ)原因になって来ました。本質的なものとそうでないものの区別がついていないために、一緒くたに説いている教えが多いからとでも言えましょうか。私たちには手も足も出せないような理由なんであります。私たちの目にはすべてを持っているように見えていた人が実は不幸だった、という事実をニュースで見せられる昨今です。心は豊かだけど生活は不幸、などということはあり得ません。今ある生活の中に幸せを見つけ出すためには、自分が理想とする生活を手に入れたつもりで、そこに当然伴っているべき感謝を前もってする、という方法から入るといいと思います。それで実際に生活がよくなる、というオマケが付いて来ればそれに越したことありませんが、そういうのを釣り文句にするのはよくないんじゃないかと思うんであります。