現代人にとって信仰を取り戻すのはもはや無理であろう、とはよく言われることです。それもそのはず、知性が発達すればするほど、信仰というのは一番理屈に合わないものに見えます。実際、何らかの神格を信じるのは非論理的なことであります。でも、人間が救われるのは結局は信仰を通してでしかあり得ない、とあいのほしは敢えて断言いたします。ではどうすればいいのでしょうか。政治哲学や宗教哲学といったものを極めることをおすすめしています。これは学位を取るとかいうことではなくて、自分で納得するまでという基準で極めるという意味です。極めればだいたい無神論的な考えになりますが、それでいいのです。人生はもともと理屈に合わないので、信仰への最後の一歩は人生そのものが導いてくれることになっています。スピリチュアルなことを何も知らないのに、真の自己と呼べるようなものを垣間見る体験をする人がかなりいらっしゃいます。で、そのあとニューエイジの(こうやればこうなる式の)理路整然とした教えに出会い、それが見たことも聞いたこともない話であるために、思わずパッと掴むということが起こりがちなんであります。岩波文庫とか『世界の名著』シリーズ(中央公論社)とかを読んで古典の教養があれば、ニューエイジの教えにはまったくと言っていいほど新しい要素はない、ということがハッキリと分かります(哲学は同じような概念が現れては消えるということを歴史的に繰り返しています、頭で考えるだけで行じないからいつまで経っても本当の理解に達しないのです)。だけど、それが分からないから掴んでしまいます(私自身の体験です)。魅力的に見える教えの中身は、突き詰めればご利益があり、楽して人生万々歳になることを理想とする内容だったりします。これが世に言う唯物論的スピリチュアルであります。せっかく本当のスピリチュアルを垣間見たのに、かえって信仰から遠ざけられることが起こりがちなんです。自分なりに人生を哲学したあとなら、脇目も振らずに信仰に飛び込んで行けます。何かに惑わされるということがないのです。これはもちろん、何らかの宗教的組織に入るという意味ではありません。あくまで自分一人の信仰のあり方であります。